英語・フランス語・ポルトガル語な日々………そしてドイツ語が加わる

時に必要にせまられ、時に興味からいくつか言語を勉強しています。

フランス語・接続法にまつわるあれこれ~その1

『接続法』です。フランス語やポルトガル語、あるいはドイツ語などにも登場する「接続法・le mode subjonctif」。

 

英語ではほとんどその存在が消えてしまっているから、英語を話す人でも接続法はちょっととっつきにくい、今一つ使い方が良く分からないと感じている人もいるのではないでしょうか。

 

僕が今までに文法として習ったこと、フランス人との会話や新聞、テレビでの報道などから得た経験からフランス語の「接続法」とは何ぞや?を説明してみたいと思います。

とは言っても、まず初めに言葉があってそれを体系化したものが文法でありその逆ではないから、どうしても文法的に納得できなくても実際にそう話されているんだからしょうがない、というグレーゾーンは少なからず存在します。

 

 

直説法(indicatif)か接続法(subjonctif)か?

まず、根本の違いは?

文法書を見れば、必ず接続法の説明はあるけれど何しろ相手は言葉、大きな枠組みは解説できても、数学のように細かいところまで全てを論理的に説明しきれるものではありません。特に発言者の心理状態を大きく反映する接続法は、半過去や複合過去、未来形や条件法の決まり事と比べても分かりづらい面があると思います。

 

かれこれ20年以上フランス語に接してきた僕が考える大原則。直説法(indicatif)か接続法(subjonctif)か。

  • 直説法は客観重視
  • 接続法は主観重視

これが出発点です。

 

接続法は、❝話者の主観が大きな割合を占めている❞と考えられる場面で現れます。発言内容が事実かどうかは後回し。

 

ここから、話し手が「強い主張、願望、感情、必要性、恐怖、疑い、後悔、禁止、命令…」などを表明する時に接続法が登場することになります。

「自己主張すること」と「疑いを表すこと」では意味が反対じゃないの?と考えられなくもないけれど、話者の主観と捉えればどちらも接続法で表現されるのも納得がいく(いかないかな)でしょう。

 

「接続法」というものを理解するために、フランス語の中でこの「主張や願望、後悔、禁止等々」を表す頻繁に使われる動詞句 ⇨ 常に接続法が使われるもの、をまず機械的に覚えてしまうことが特にフランス語初級者にとっては有効だと思います。

il faut que~, aimer que~ , attendre que~, être content que~, exiger que~, vouloir que~, souhaiter que~...etc.

Il faut que tu partes tout de suite.

Je doute que vous arriviez à temps.

Il est peu probable que je puisse y aller.

Il attend que vous lui répondiez.

Elle est vraiment contente que tu sois là aujourd'hui.

Je ne veux pas qu'il vienne!

 

ここで、とてもきわどい動詞が espérer que~

普通に考えれば接続法になりそうなものだけれど、フランス語では直説法が来ます。

J'espère que tu as raison.(直説法)

Je souhaite que tu aies raison.(接続法)

なぜ、接続法ではなく直説法になるのか、誰か明確な理由をご存知の方がいたら是非教えてくださいませ。

ちなみにポルトガル語ではフランス語の espérer que~ に相当する動詞 esperar que~ は接続法を使います。

Il est probable que + 直説法 と Il est possible que + 接続法

これも、こういうものだと思うしかないと思います。

Il est probable qu'il viendra.(直説法)

Il est possible qu'il vienne.(接続法)

doute que~ は接続法

Je doute que ce remède soit efficace.

se douter que~ は直説法(又は条件法)

Je me doute qu'il pourra venir.

どうしてでしょうね。

 

 初めは機械的に繰り返すだけでも、使って行くことによって徐々に接続法の表現するニュアンスが分かってきます。この感覚的に接続法の意味することを理解できるようになることがとても大事です。

 

否定文での接続法

肯定文では直説法でも否定文や疑問文になると接続法になる、という状況を見ていきたいと思います。

直説法は、事実を事実としてそのまま述べるもの、もうちょっと拡大して、まぁ事実とみなしていいでしょう、差し支えないでしょう、というものを表現します。

Je crois qu'il viendra.

Je pense que tu peux travailler.

Je pense qu'il fera beau demain.

 

 最初の例文、Je crois qu'il viendra は諸々の状況から考えて彼がやって来ることはほぼ確実でしょう、ということです。もちろん彼がやって来ない、あるいは来ることが出来なくなる状況が発生することは0%ではないけれど、普通に考えて彼はやって来るでしょう、ということです。これを否定文にすると、

Je ne crois pas qu'il vienne.

接続法の登場です。何故か?

「(私は)彼が来るとは思はない」。実際に彼が来るかどうかは「彼」が決めることです。それに対して「私」は私の意見(つまり主観)を表明しているので接続法が現れます。文脈によっては「私」は彼に来てほしくない(願望)、と思っている可能性もあります。

 

ここで留意しなければならないのは、否定文になると必ず接続法になるとは限らない、ということです。最初に書いたように、直説法と接続法を分ける大原則は、客観に重きが置かれている主観に重きが置かれているか、ということです。

もし、「彼が来るとは思はない」と思っている「私」が、彼が絶対にやって来ない、または、絶対に彼が来ることが出来ない何らかの理由、事実を知っているとしたら(彼が来ないことに疑いの余地がない場合)、

Je ne crois pas qu'il viendra. という文章も不可能ではないでしょう。

ここで直説法と接続法の表すニュアンスの違いが少し分かると思います。

 

2つ目の文 Je pense que tu peux travailler.を否定文にすると、

Je ne pense pas que tu puisses travailler. (君が働けるとは思わない)

接続法を使えば、話し手の主観的意見(医者、その他の人はどう思っているか知らないけれど)が軸になる、あるいはすぐに無理をしようとする相手に対して働いて欲しくない、安静にしていてほしいという願望が前面に出るのに対し、直説法で、

Je ne pense pas que tu peux travailler. とすれば医者もダメだと言っている、君が働けないのは誰の目にも(客観)明らか、

くらいのニュアンスの差が現れます。

でも、実際にはそこまで考えずにほぼ機械的に接続法にするのが現状ですね。

 

3つ目の文 Je pense qu'il fera beau demain.

明日は晴れると思う(なぜなら天気予報でそう言っていたから、ネットのお天気サイトで見たから)を否定文にして、

Je ne pense pas qu'il fasse beau demain.

晴れるかどうかは明日になってみないと誰にも分からない(天気予報だって外れる)。だから「明日晴れるとは思わない」は完全に私の主観でしかないから接続法になります。この場合は接続法しかありえないでしょうね。

 

このように多くの場面で、話し手の心理や話し手の置かれている状況によって直説法にも接続法にもなりえるので、この辺りの幅が接続法を分かりづらくしている一つの原因だと思います。

 

関係節と接続法

伝えたいニュアンスによって、直説法にでも接続法にでもなり得る例を更に挙げます。

 

Je cherche un étudiant qui soit parfaitement bilingue.(接続法)

完璧なバイリンガルの学生を探している。でも私が求めている条件(完璧なバイリンガル)を満たす学生が私が探している範囲(学部や地域など)にいるかどうかは分からない、知らない。

 

Je cherche un étudiant qui est parfaitement bilingue.(直説法)

完璧なバイリンガルの学生を探しており、その条件を満たす学生が私が探している範囲(学部や地域など)にいることを知っている、存在するという事実がある。探せば必ず見つかる。

 

Je cherche dans ce village une maison qui ait trois salles de bain.(接続法)

この町で、浴室が3つある家を探している(が、そういう家がこの町にあるかどうかは分からない、無いかもしれない)。

Je cherche dans ce village une maison qui a trois salles de bain.(直説法)

この町で浴室が3つある家を探している(そういう家がこの町にあることが前提、または周知の事実として認識されている)。

 

直説法はどこまでも事実に立脚した物事を表すのに対し、接続法はその事実が保留されます。

 

接続法の時制

 フランス語の接続法には4つの時制しかありません(4つもあれば十分⁈)。

現在・半過去・過去・大過の4つです。ポルトガル語のような未来形は存在しません。

そのため、未来の話であってもフランス語の接続法では現在形が使われます。

Il faudra que tu viennes demain.

 

文法に純粋に従うと…(接続法における時制の一致)

主節の動詞が現在形から過去形になると、

接続法現在⇨接続法半過去

接続法過去⇨接続法大過

になります。

 

Je veux que tu viennes aujourd'hui. → Je voulais que tu vinsses hier.

Je suis conent que tu sois venu aujourd'hui. → J'étais content que tu fusses venu hier.

 

しかし、これは文法にあくまでも純粋に従った場合であって、現代フランス語では主節がどのような時制であっても、接続法現在形と接続法過去形だけが使われる傾向にあります。

Je voulais que tu viennes hier.

J'étais content que tu soit venu hier.

 

接続法半過去と接続法大過去は、現在ではほとんど文体でのみ見られる時制になっています。

 

もちろん、この2つの時制を会話の中で使うことは自由です。

 

また、特にフランスの古典作品には出てくるのでちゃんと理解できるように知識をして知っておくに越したことはないと思います。

 

条件法と接続法(雑学)

その昔、主節の動詞が条件法の時は従属節の接続法は半過去になるものだったようです。

Il faudrait qu'il vînt tout de suite.

それが1901年に接続法現在でも大目に見るよ~、ということになり、

« On tolérera le présent du subjonctif au lieu de l'imparfait dans les propositions subordonnées dépendant de propositions dont le verbe est au conditionnel. Exemple : il faudrait qu'il vienne ou qu'il vînt »

続いて1976年に接続法現在形で良い、ということになった経緯があったようです。

 Le conditionnel présent pouvait être suivi soit du subjonctif présent, ou du subjonctif imparfait. Il y avait cependant à l'usage une différence entre les deux, que l'on pouvait percevoir plus clairement en se référant aux deux valeurs qu'il pouvait prendre. En effet, le conditionnel présent en français recouvre les deux notions de potentiel et d'irréel du présent en grammaire latine. Dans le premier sens, on pouvait le faire suivre du subjonctif présent, alors que dans le second l'imparfait s'imposait.

主節の条件法に続く従属節には接続法現在と接続法半過去両方が可能です。しかし、その2つの間にははっきりした意味の違いが生じます。

フランス語の条件法現在は、「潜在性、可能性」と「非現実性」の2つの概念を表します。接続法現在を使えば「可能性」を、接続法半過去では「非現実性」を表せます。

 

(例)

Il faudrait que tu ranges ta chambre (接続法現在)

ほぼ、命令しているのと同じ。部屋を片付けるべきだ。

Il faudrait que tu rangeasses ta chambre. (接続法半過去)

忠告に近い。部屋を片付けた方がいいんじゃない。

 

今は100%、条件法 + 接続法現在ですね。

 

おまけ 接続法半過去に関して

言葉は基本的にシンプルになる方向に変化する傾向があるから、接続法半過去も今ではほとんどお目にかかることはなくなってしまったけれど、その理由に、

  • 接続法現在と接続法過去だけで実際こと足りる、
  • 接続法半過去を覚えるために必要な単純過去の活用を覚える必要がなくなったし、そもそも単純過去自体ほとんど使わなくなった。

など考えられるけれど、他に発音上の問題もあったと思います。

 

接続法半過去の発音のために面白い文になる例を2つほど。

Il était insensé qu'il pût autant.

Il m'aimait sans que je le susse.

この文の何がどう面白いのか、是非調べてみてください(フランス人に直接聞くとはやい)。

 

 

接続法にまつわるあれこれ~その2 へ続く。いつになるか分からないけど…